コドモンテ SakuraEdu

コドモンテはモンテッソーリ幼児教育に基づいた親子のワークショップです

モンテッソーリ教師資格者によるワークショップ

02月

主人公はあなたね!

また、新たな資料と格闘していたら、目からウロコ!の発見をしてしまいました。
「子どもを、全人格的に受容する。」
これって当たり前!?と思いながら読み進めるうちに・・・
私自身も誰かに「全て」を受容されたことがあるかしら?と考えつつ、そして20年間の子育てを振り返ってみました。(※もちろん「すべてを受容する」の意は、社会的規範を逸脱した悪い行動をも、容認するという意味ではありません。)

忘れ物していない? 半袖にしたら? 早くお風呂に入ってね! 野菜も食べて!等々・・・まだまだあるぞ!
「?」やら「!」やら、「こうあって欲しい!」という、私の勝手な考えで発言していたことに気づきます。
私がこうしたら?と言うのが、お風呂や野菜、しつけに関することならともかく、気を付けていないと、その延長で「医者になって欲しい」とか、「コンクールで入賞して欲しい」とか、「プロゴルファーになって欲しい」とかあらぬ方向に発展と、いうことになりかねません。

それは、子どもを全人格的に受容しているだろうか?もちろん「否」。

愛情が⇒過保護になり⇒思いを押しつけて⇒子どもをせき立てる、これでは子ども自身が「自分の人生の主人」にはなれません。ここが親として本当に難しい部分です。しつけやルールなどの教えるべきことと、子どもの人生の「脇役」であり続けること。

今日は、ちょっと主人公になり替わりそうだったな、と思った日は、子どもの寝顔につぶやいてみることにします。「ごめんね!主人公はあなたね!」

炊飯器がパズルに?


だいぶ前の我が家のエピソード。新しく炊飯器を買い換えた時、壊れた方の炊飯器を袋に入れて、キッチンの床に置いておきました。すると次子(当時小学3年生)が目ざとく見つけ、「ママ、これちょっと触ってみてもいい?」「どうぞどうぞ~。」
何だか面白そうだな、と感じた私は、さりげなく様子を観察することに。

はじめは開けたり、閉めたり、内釜を出したり、物を入れて混ぜる真似をしたり。その内に、取れそうな部分をガタガタいわせたり、ひっぱったりし始めました。しばらくやってみてから一言。
「ママ、これって外せるの?」「うん、やって見せようか?」

そこで、1つ1つの部品をていねいに外して、また元の通り組み立てて見せました。取れる部分は内釜、内蓋、外蓋、蒸気口2箇所。巻き取り式コードは外せませんが、引っ張ると巻き取ってくれます。簡単なようですが、家電は少しの差でも、はまらないように出来ているもので、「向き」や「天地」が違うと、最後のフタが絶対に閉まりません。

さて、手本を集中して見ていた次子。「ふうん、面白いね。」と言いながら、目は輝いています。
お、いたずら心に火がついたかな?よし。よし。それから、しばらくして「やったあ、できたよ!」
その声を聞いて見に行った時には、もう次の回に向けて分解中。繰り返す間に、小学5年生の長子まで参戦。

「恋する季節」は、とうに過ぎた子ども達ですが、まだまだ感覚に訴えるものが身近にあるのだな、と感心してしまいました。しばらく集中してやっていたので、他の用事を済ませてキッチンに戻ってみると、次子からの手紙が旧炊飯器の上に置いてありました。

「ママへ、このすいはん器、もう1回あそぶから、すてないでね。」

小学生になると、もう「だめだめ!」と言うような場面には、あまり遭遇しません。
代わりに増えるのが「早く早く」と「~~やった?」。

帰宅時間が遅くなるのに、好きなお稽古もあり、宿題やテスト、調べ物、夕飯にお風呂、本も読みたいし、しかも親は早く寝かせたい。どうしても平日の夕方からの時間は、急がせることが多くなってしまいます。
この炊飯器の時は、ちょうど休日前の夕方で、子ども達がのんびりと過ごしていた時間でした。

家をぶらぶらして発見する「興味深いこと」をやってみて、しばし没頭できる余裕があること、そういう時間をどう過ごすかというのは、とても大切だなと感じたエピソードでした。もちろん、この背景には「親の気持ちに、余裕がある時間」が基本になっているのですよね。反省、反省。

食卓育をはじめよう!

「食育」という言葉は一般的になりましたが、「食卓育」という言葉を聞いたことがありますか?
料理研究家で医師である服部幸應先生の講演がテレビでやっていて、とても参考になった話がありました。
それが「食卓で子どもが育つ」という内容でした。

食事をしながらテレビを見る家庭が6~7割、見たり見なかったりが2~3割、見ないという家庭は1割に満たないそうです。先生いわく、食事をしながらテレビを見ていると、こんなことが起きているのではないか?というのが、以下のようなこと。
☆何を口にしているか、の意識が希薄になっているかも。
☆美味しさも半減しているかも。
☆話題がテレビの内容になって、子どもの様子を聞き出すチャンスを逃しているかも。
☆食べ物の好き嫌いも見逃してしまうかも。
だから、「ぜひ、テレビを消して食卓を囲んで下さい。」といった見解を述べておられました。1990年代には、社会的な問題とされてきた「孤食」の話。子どもが1人で食事(とくに朝食)をするのは、いまやかなり高い確率になっているそうです。
尾木ママの愛称で知られる、教育評論家の尾木直樹先生の著書では、2005年の調査で小中学生の4割超が孤食とのこと。そして驚くべきことに、同じ時間に朝食を食べていても、各自が私室で好きな物を食べる、という状況も拡がりつつあるそうです。これも、テレビ、パソコン、携帯などを、家族がそれぞれ持っているようになった、時代の影響があるのかもしれませんね。

ためしに食事の時にテレビを消して、携帯をマナーにしてみたら、どうなるでしょう?
今日の予定とか、これ食べる?とか、ああスイカももう終わりだねとか、他愛のないことを喋りながら、お互いの顔を見て、元気そうだなとか、疲れているなとか、反抗的な気分だな、とか察することが出来るかもしれませんネ。

さらに、勉強ができる子は、食卓で宿題をしている、とよく育児雑誌に載っていますよね。「声に出したい日本語」で著名な斎藤孝先生も、食卓勉強を強く薦めています。親は子どもの勉強の様子を知ることが出来るし、子どもは分からない箇所があれば、ちょっと質問できる。部屋に入ってしまえば、別のことをしていても分からない、という安心感から、勉強や質問が後回しになってしまう。さらにマンガや携帯など、魅力的な物があれば、小学生が集中力を持続できる30分間さえ、途切れてしまうそうです。

テレビなしの食事や食卓勉強、いずれも親にとっては手が掛かる方へと向かうワケです。
そしてテレビを消す為には、「自分から話す」習慣がないと、まず勇気が要りますよね。親がその日にあった面白いことでも話してみる、というのはいかがでしょうか?

めんどくさい気持ちと裏腹に、やはり大切!と感じている食卓育の話題でした!

初午の日に

「初午の日」、今年は立春明けて2月12日(日)にあたります。
この日は、全国に3万~4万あると言われる稲荷神社のお祭りです。稲荷神社はその名の通り「稲が生る」が語源で五穀豊穣を守る神様がいる場所で、春の訪れとともに、神様が馬にのってやってくる・・・という言い伝えから、初午の日が祭日になったと言われています。

と、かたい説明はここまで。私たちに1番身近な神社が「おいなりさん」と言って良いかもしれませんね。街を歩いていても、ちょっとした所に祭られているのを目にします。そして、必ず鎮座している「きつね」。おきつねさんと呼ばれるこのきつね君は、春になると山から来て、ねずみを取って退治してくれて、収穫が終わると山に帰っていくので、神様のお使いとされていたそうです。

そして江戸時代には、初午が寺子屋の入学日だったそうで、習い事や新しいことを始めると縁起が良いと言われます。

☆初午の日に
春に向けて、子ども達の新しい習い事や、塾などに頭を悩ませる時期になっていますね。
少子化のあおりを受け、幼児を対象にした教室は、あの手この手で何とか生徒を確保しようとしています。料金も学童向けに比べると、幼児向けの教室の高額なこと!
さて、何かを習わせたいなと思った時、どんなことに気を付けて決めていますか?

「子どもがやりたいと言ったから。」⇔子どもは、とりあえずやってみたいという事が多いですよね?
「お友達と一緒に。」⇔本当に身につけたい事なら、1人で行く方が集中できるかも?
「知能を発達させてくれそう。」⇔週にたった数時間で、子どもの知能は本当に育つでしょうか?
「有名な幼稚園や学校に入れたいから。」⇔その幼稚園や学校に、ご縁がなかったら?
「自分が一緒に遊ぶのが面倒だから。」⇔清潔な教室の中で、画一的なカリキュラムで何を育てたいの?

こんなふうに、自分で反論しながら決めて行くというのはどうでしょう?
合わない時はやめる。1人でも行く。家庭教育を第一にする。子どもをどう育てていきたいか真剣に考える。子どもの個性を大切にする。そんなこんなを決意しておきながら、友達と一緒に通って、楽しめて、何か上手になって、ママも一休みできる時間の対価として、月謝を払うのなら納得しますよね。