また、新たな資料と格闘していたら、目からウロコ!の発見をしてしまいました。
「子どもを、全人格的に受容する。」
これって当たり前!?と思いながら読み進めるうちに・・・
私自身も誰かに「全て」を受容されたことがあるかしら?と考えつつ、そして20年間の子育てを振り返ってみました。(※もちろん「すべてを受容する」の意は、社会的規範を逸脱した悪い行動をも、容認するという意味ではありません。)
忘れ物していない? 半袖にしたら? 早くお風呂に入ってね! 野菜も食べて!等々・・・まだまだあるぞ!
「?」やら「!」やら、「こうあって欲しい!」という、私の勝手な考えで発言していたことに気づきます。
私がこうしたら?と言うのが、お風呂や野菜、しつけに関することならともかく、気を付けていないと、その延長で「医者になって欲しい」とか、「コンクールで入賞して欲しい」とか、「プロゴルファーになって欲しい」とかあらぬ方向に発展と、いうことになりかねません。
それは、子どもを全人格的に受容しているだろうか?もちろん「否」。
愛情が⇒過保護になり⇒思いを押しつけて⇒子どもをせき立てる、これでは子ども自身が「自分の人生の主人」にはなれません。ここが親として本当に難しい部分です。しつけやルールなどの教えるべきことと、子どもの人生の「脇役」であり続けること。
今日は、ちょっと主人公になり替わりそうだったな、と思った日は、子どもの寝顔につぶやいてみることにします。「ごめんね!主人公はあなたね!」